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政重さまの悪名を全キリスト教世界に轟かせたフェレイラ師の棄教

 井上筑後守政重という名を、一躍世界中に知らしめたのは、クリストヴァン・フェレイラ師の棄教と転向でございます。イエズス会に入ってから37年、日本での布教も23年という多きを数えた宣教師クリストヴァン・フェレイラさまは、日本管区長代理を長年務められた、切支丹伴天連の大物中の大物でございました。

 寛永10年(1633)10月18日、長崎の西坂刑場で司祭や修道士の方々が「穴吊りの刑」に処せられたのでございます。

 穴吊りの刑とは、悪知恵のきわめて良く働いた長崎奉行、また豊後の大名でもあった竹中采女正さまが考案した拷問であります。

地面に深さ2メートル、直径1メートルほどの穴を掘り、その上にやぐらを立てて、受刑者をその穴の中に逆さ吊りにしたのでございます。その時には頭部の充血を防ぐため、こめかみに小さな穴が開けられ、さらに内臓が反転しないように、胴体をきつく縄で縛り上げられました。受刑者は中央部分を丸くくりぬいた2枚の板で腰をはさみ込まれ、腰から上の胸から頭を真っ暗な穴の中に下ろされます。受刑者の腰から下の部分が地上に出ているのが見えるだけでございます。

 そしてお役人さま方は、食べるものも与えず、受刑者たちが苦痛と暗黒の孤独のために疲れ果て、この残忍な拷問に屈して息のあるうちに「転ぶ」まで吊るし続けたのでございます。そして転ばないものは、暗黒の穴の中で絶命したのでございました。

 このような凄絶な拷問を考え出した竹中采女正さまですが、因果は巡る糸車ということでございましょうか、ご自身の悪政と醜聞のため、江戸に呼び戻されて、寛永10年(1633)3月21日に切腹を命じられておりました。後任の長崎奉行には今村伝四郎さま、曽我又左衛門さまが直ちに任ぜられ、各地に潜伏する宣教師の方々を根こそぎ狩り出したのでございます。

 この時穴吊りの刑を受けたのは、クリストバル・フェレイラ神父、かつて天正少年遣欧使節の一人だった中浦ジュリアン神父、シチリア人でイエズス会のジョヴァンニ・マテオ・アダミ神父とポルトガル人のアントニオ・デ・ソーザ神父、日本人のペドロとマテオの両修道士、ドミニコ会のスペイン人ルカス・デ・スピリト・サント神父、そして日本人の聖ドミニコ会修道士のフランシスコという方々でございました。

 穴吊りされて5時間後、クリストバル・フェレイラ神父はそれまでの赫々たるキリスト教世界での名誉を全て残らず投げ捨てて、棄教されたのでございます。

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