top of page

不干斎ハビアン著「破堤宇子」を読んでいた政重さま

 政重さまが現場の武士から、管理職の武士へとステップアップしていく際の長所とは、親キリシタン的な蒲生家での徳川方としての隠密活動、もう一つは御朱印船番士としての海外における隠密活動の経歴でありました。いずれも発足間もない江戸幕藩体制の対キリシタン戦略を考える上で、現場を知っている人物は貴重な存在であったことでしょう。

 かつて2代将軍秀忠さまが揖斐半右衛門という武士に西国にキリシタン教徒への潜入を命じられまして、半右衛門どのはなんと7年もの間、キリシタンと偽って情報収集をされていたのでございます。戻られた半右衛門どのの報告を秀忠さまは3日3晩聞き続けられたとのこと。対キリシタン情報の収集は、江戸幕府のカウンター・インテリジェンス活動の大きな柱だったのでございますな。

 キリシタン対策を考えるのは、キリシタンの教義に精通した者を味方に付けねばなりませぬ。ちょうどこの頃うってつけの人物がいたのでございます。その名は不干斎ハビアン。最近2009年に釈徹宗という方が「不干斎ハビアン、神も仏も棄てた宗教者」(新潮選書)という本を書かれて、この人物の全貌がやっとのことで明らかになったのでございます。

 不干斎ハビアンは、かつで禅僧で、キリシタンに改宗し、日本におけるキリシタンの中で論客として活躍し「妙貞問答」というキリシタン入門書を書き上げた人物。しかし、突然キリシタン信仰を捨てて失踪し、ふたたび歴史の表舞台に現われて幕府に協力。かつての経歴とは正反対の「破堤宇子」という究極のキリシタン批判書を出版したのでございます。この「破堤宇子」という書物は、キリシタン側にとっては「地獄のペスト」と読んで恐れたという記録が残っておりまする。

 この「破堤宇子」によって幕府の対キリシタン政策は、明確な論理的ベースを得たと考えられます。後に、論理的かつ情緒的に、硬軟取り混ぜた対キリシタン政策を推し進めていった井上政重さまはおそらく「破堤宇子」を手に取られ、熟読されていたのは間違いございません。 

 講談師は、「破堤宇子」と政重さまの関係をもっと深く妄想してしまうのでございますが、それはまた次のお話でございます。

Featured Posts
後でもう一度お試しください
記事が公開されると、ここに表示されます。
Recent Posts
Search By Tags
まだタグはありません。
Follow Us
  • Facebook Classic
  • Twitter Classic
  • Google Classic
bottom of page