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公式記録に見る井上筑後守政重さま

 井上筑後守政重さまの人物像は、断片的な記録が伝わるだけであります。主な公式記録を箇条書きにするとこのようになりますなあ。

1985天正13、0歳、遠江国に生まれる。

1608慶長13、23歳、徳川秀忠に御家人として仕える。

1613慶長18、28歳、大阪夏の陣で首1級を得る。

1614元和2、29歳、徳川家光に仕える。

1628寛永5、42歳、筑後守となる。

1633寛永10、48歳、惣目付となる。

1638寛永15、53歳、島原の乱に上使として参戦

1641寛永18、55歳、下総高岡藩1万石の大名となる。

1658万治1、73歳、職を辞す

1662万治5、76歳、死去す。

 井上筑後守政重さまの墓所は、巣鴨の北、染井霊園にございます。私がそこを初めて訪れたのは、2010年の秋。ネット上の記事などを参考に、広い霊園の中を歩き回ったのですけれども、政重さまの墓所がなかなか見つからない。ちょうどいらっしゃった洗いざらしの作業服の方に聞きながら、なんとかその墓前にたどり着いたものでございます。

 名のあるお武家さまに多い宝篋印塔型の立派な墓石で、正面には玄高院殿、側面には幽山日性大居士とありました。まさにその方のお墓でございます。また万治四年、二月二十七日と刻まれているのは亡くなられた日付でございましょう。

 しばし政重さまの墓前にたたずんで、持ってきた蝋燭と線香を点し、うろ覚えの般若心経などを誦しながら、その人の生涯を思ったのでございました。「ここにいらっしゃったのですねえ」と声をおかけしたのですが、ご自身も没後何百年も後に、自分のことを調べようなどという物好きが現われるなど、考えもされなかったことでしょう。きちんと墓所が維持されているということは、今も井上家の末裔の方がいらっしゃるということ。

 当時の政重さまにも、今の末裔の方にも、恥ずかしくないものを書かなければならない、との思いを新たにし、襟を正したた墓前での一時なのでありました。

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