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三つの「沈黙」から

 「沈黙」は小説以外に、篠田正浩氏の監督で昭和46年(1971)公開の映画「沈黙」、松村禎三氏作曲で1993年に日生劇場で初演されたオペラ「沈黙」が、それぞれございまする。

映画はDVDにて、またオペラは新国立劇場情報センターの映像ライブラリーで拝見しながら、これらの作品周辺の資料を集めて拝見いたしました。

幸いにも、篠田氏の評論集「闇の中の安息」(フィルムアート社、1979)に「私は『沈黙』をこのように映像化する」との一文がございましてね。映画「沈黙」がクランクインする前に、「三田文学」1971年1月号に寄せたものでございます。

「デモクラシーが原子爆弾の閃光とともにやってきたように、私たちは、たえまなくか、あるいは突如、異国文化に遭遇する運命にあるのだ。私たちは、この強烈な刺激にたえる歴史の中で生きてきたのである。そして、その苦悩をもっともその肉体にひき集めているのが井上筑後という人物だと、私は思うのである。・・・『沈黙』現れた井上筑後は、異教徒の私にとって、もっとも近い人間である。・・・井上は、日本とは何か、神は真に存在するのか、と問い詰めていくのである。・・・このカソリシズムの立場から見れば悪の化身と擬せられる井上の位置こそ、私の求めるものである。彼が信じ、彼が守らんとした日本という島国の沼こそ、私の住みかであり、この沼に棲む神こそロドリゴを迎え撃つ神であり、造物主がこの地上に許された代理人ではあるまいか。」と篠田氏は井上筑後守政重さまを分析されているのでございます。

 私めは、篠田氏にお時間をいただきまして、改めて「沈黙」や井上筑後守政重についてうかがうという機会をいただいたのでございます。

 「ぼくは『沈黙』を読んで、初めて井上筑後の存在を知りましたが、彼を取り上げて映画が1本作れるな、と思いました。

彼は宗教的な問題で政治的な決断をしなくてはならない立場にあった。政治はものすごくリアルに私たちの帰属する伝統的な社会を抱えていますし、また宗教は、異端か、正統か、どちらかを選ばなければならないですから。

井上筑後が長崎にオランダ人たちを移したり、また江戸にキリシタン屋敷を作って、マネジメントしたのは、彼の極めてリアリスティックな国際感覚によるものでしょう」と篠田氏はお話になりました。

さらに、キリスト教が江戸幕府の思想的な内部崩壊を招いてしまうかもしれないという恐れを、ザビエルによるキリスト教伝来から百年以上、日本の権力者たちはずっと観察してきた、と申されます。

「キリスト教の力と最初に向かい合ったのは秀吉だと思いますが、慶長2年(1597)に長崎で26聖人を処刑したのは、弾圧というよりも、キリスト教をこれ以上布教するな、という秀吉からの政治的なメッセージだったと思います。

しかしキリスト教側にとっては、それが逆のプロパガンダとして作用してしまった。殉教するならば日本だ、みんな一緒に殉教しよう、死なばもろとも、というような『沈黙』の世界に向かっていくのです」

そのような犠牲的な宣教師たちの活動によって、はたして日本にキリスト教が根付くことが出来たのか、という問題について、篠田氏は懐疑的だったのでございます。

 「たとえば三島由紀夫の文学的なバックボーンは西洋文化ですが、西洋文化を知れば知るほど、キリスト教徒にならないと、その先へは進んで行けない。その時に、自分の中にある日本を直視せざるを得なくなる。三島由紀夫におけるジレンマを、日本の歴史の中では井上筑後が最初に体験したのではないでしょうか。

 また芥川龍之介の小説で『神神の微笑』というのがあって、それは宣教師のオルガンティノの前に、日本古来の霊の一人が現れて、対話する短編小説ですが。その中で、孔子、孟子、荘子の教えも、釈迦の教えも、日本に伝わったものの、いつの間にか造り変えられてしまう。あなたがたのゼウスの教えもまた同じ道をたどるだろう、と語ります。『パードレは決して余に負けたのではない・・・この日本と申す泥沼に敗れたのだ』との井上筑後のセリフは、もうすでに芥川のこの小説の中に出ているのです。『沈黙』で遠藤周作が書いた『すべてが日本化してしまう』というテーマは、芥川がもう書いているということに驚きました」

  日本の自然、ととえば森の中に身を置いてみますと、その中に蠢いている無数の生命がいるんだなあ、ということを感じ取ることが出来まする。草や木、虫や動物、水の中、土の中などいたるところに無数の生命があることを感じるのですなあ。これが「日本の沼」というものでございましょうか。まさにキリスト教が誕生なさった中近東のからからに乾き切った砂漠とは全く違う自然の環境なのでございますねえ。

 そんな中で何千年も、何万年も生活し続けてきた日本人が崇めてきたカミはあらゆるものをじわじわと呑み込んでいくのでございます。その大本にある日本的な何かを、篠田氏は「それが日本素というものではないでしょうか」と表現してくださいました。

 篠田氏は「沈黙」の側から、文化・文明論的な側面から、また心性の部分からも、井上筑後守政重にもっとも近づいた方の一人だと思えたのでございます。

 そのように、私めが調べを重ねてまいりますうちに全く違う分野から、井上筑後守政重さまのお名前が表れてきたのでございます。それは、日本で発達してきた数学、つまり和算の分野からだったのでございます。

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